サロジニ・ナイドゥその6 折れた翼 1917年、サロジニの生前に出版された最後の詩集「折れた翼 The Broken Wing」が刊行されました。例によ って版元はロンドンのウィリアム・ハイネマンであり、これまた例によって、エドマンド・ゴッスの好意的な評価の下 で、好評を博しました。 この詩集は、どれもは1915年以降に書かれた新しい詩で構成されており、時期が時期だけに、どれもかなり な政治的メッセージが込もっています。加えて、1915年には、短期間のうちに師ゴーカレーのみならず父チャッ トパーディヤーヤ博士の死去という悲劇にも見舞われているため、父親への追悼詩も含まれています。 タイトルは、サロジニが何を思ったかネクラな詩を書いてゴーカレーに見せた時に、「あなたのような歌鳥でも翼 が折れるのか? 」と言われたからだとのこと。 という訳で、例によって、表題作である「The Broken Wing」の拙訳を以下に載せます。
特に説明しなくとも、この詩は民族運動の暗喩、というには語弊がある明白でロコツな比喩です。 さて、生前最後の詩集に話が来たところで、そろそろサロジニ・ナイドゥの文学的評価について、少し詳しく触れ ねばならないでしょう。私個人としては、詩人としてのサロジニにあまり興味はないのですが、それでも人物として 取り上げる以上、書かざるを得ません。 最初の詩集「黄金の戸口」が出版された当初、サロジニは天才詩人と評されました。しかし現代では、インド英 語文学界の先駆者として評価されつつも、独立運動のリーダーとしての名声に勝るほどではありません。作品の いくつかは名作として高い評価を得ているものの、率直に言って、詩人サロジニ・ナイドゥの文学的評価は、その 死後に急落して、「素人臭い」「混乱気味」「リアリズム欠如」「単調な繰り返し」「スパイスと砂糖の甘さ(要するに ヘンな味ということ?)」「甘ったるい女学生的センチメンタリティ」などの悪口も浴びせられるうえに、多くの批判も あり、現代ではかなり低い評価となっています。 まず、サロジニの詩は、同時代のインドの真の姿を描いてはいないという指摘があります。「キプリング的」視点 とも言われていますが、サロジニの描くインドは、イギリス的フィルターを通して見たインドであるとのこと。エドマ ンド・ゴッスが少女時代のサロジニにいみじくも指摘したように、彼女の感性は「英語化されている」のは確かで、 ついにその影響を完全に脱することはできなかったようであり、サロジニ作品のファンもそれは認めているようで す。 また、サロジニの詩は、愛、自然、生命など基本的に明るいもの、喜ばしきものを取り上げているばかりで、当 時のインドの暗黒面、すなわち貧困、宗教間の相克、カースト差別、女性差別等を題材としていないことが批判さ れています。 サロジニ・ナイドゥは確かに、典型的お嬢様ですが、決してインドの貧困や悪しき因習に無関心でなかったの は、その政治的、社会的業績から明白です。従って、生来の楽天的でユーモアのある性格のためか、単に詩の 題材として取り上げ無かっただけだと思われます。文学的な批判というよりも、政治指導者としての面も併せる と、取り組みが不十分と受け取られたのかもしれません。 ただ、イスラム教とヒンズー教の対立を詩情豊かに描いたところで、融和の援けになるどころか、事態を悪化さ せかねません。「貧窮問答歌」は名作でしょうが、明るい詩より読みたいという人は、どの程度いるものでしょうか (笑)。 さらに、もっと単純な批判として、特定の言葉の繰り返しが多く、それ故の違和感が指摘されています。 「Sarojini Naidu, Her life, worl and poetry」によると、abysmal (底知れぬ)、magical、prescient(予期する)を 頻繁に使っているとのこと。実はサロジニの詩をさほど読んでいない私ですら、初期作品で「golden」をやたら使 っているなと感じたくらいですから、確かに事実なのでしょう。そしてまさしく、この点が「素人臭い」の評につなが っているのでしょう。 サロジニ自身と言えば、やはり自分の詩に決して満足はしていなかったようです。「一遍でも完璧な詩が書けれ ば、喜んで筆を折る」と言っているくらいです。そして、「折れた翼」以降も、サロジニは公に「詩人」と自称して詩 作を続けており、死後には書きためた詩集が刊行されているので、詩作への情熱が失せたわけでもなく、また決 して自作の質に満足もしてなかったのは明らかでしょう。 しかしそれでも、サロジニは、詩よりも政治を選んだわけです。日本人にわかりやすい例を出せば、「文学は男 子一生の仕事にあらず」として、官僚、ジャーナリストへと進んだ二葉亭四迷のような感じでしょうか(もっとも、四 迷は文壇に復帰していますが)。 文学的才能の限界を自覚したから、政治の世界に進んだという評もありますが、サロジニがゴーカレーとの出 会いについて語った、 「私の人生をインドにささげさせた、鮮烈で感動的な言葉を思い出せます 」 というコメントや、ゴーカレーの死去にあたって、インドに奉仕するように遺言されたことを考えれば、まあ、答え は明らかでしょう。 私に言わせれば、民族運動の大波の中で、ゴパール・クリシュナ・ゴーカレー及びマハトマ・ガンジーという二人 の偉人を師と仰ぎ、親しい友人でもあったサロジニが、文学の世界に固執したとすれば、そっちの方が寧ろ不思 議だと思います。 ちょっと休憩「青いハス」 ここいらでちょっと中休み。ひょっとしたら、サロジニさんの黒歴史かも知れない短編ファンタジー「青いハス Nilambuja」を紹介しようと思います。 ここで書かれている「女性」は、やたらと詩にこだわっていることからしても、サロジニ・ナイドゥ自身を示してい るのは間違いありません。これが書かれたのは1902年のことですが、この時既にサロジニは、詩作に行き詰ま りを感じていたことが暗示されています。 とは言え、自分の理想と実際の作品のギャップに苦しむのは、芸術家、作家としてはよくあることでしょう。 ということで、これまた、もしかしたら本邦初かも知れない「青いハス」の訳文です。
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