サロジニ・ナイドゥその6

折れた翼

 1917年、サロジニの生前に出版された最後の詩集「折れた翼 The Broken Wing」が刊行されました。例によ
って版元はロンドンのウィリアム・ハイネマンであり、これまた例によって、エドマンド・ゴッスの好意的な評価の下
で、好評を博しました。
 この詩集は、どれもは1915年以降に書かれた新しい詩で構成されており、時期が時期だけに、どれもかなり
な政治的メッセージが込もっています。加えて、1915年には、短期間のうちに師ゴーカレーのみならず父チャッ
トパーディヤーヤ博士の死去という悲劇にも見舞われているため、父親への追悼詩も含まれています。
 タイトルは、サロジニが何を思ったかネクラな詩を書いてゴーカレーに見せた時に、「あなたのような歌鳥でも翼
が折れるのか? 」と言われたからだとのこと。
 という訳で、例によって、表題作である「The Broken Wing」の拙訳を以下に載せます。

The Broken Wing 折れた翼
Question: 問い:
The great dawn breaks, the mournful night is past, 大いなる夜明けが来たり、悲しき夜は過ぎ去りぬ
From her deep age-long sleep she wakes at last! 深く長き眠りから、ついに彼女は目覚めん
Sweet and long-slumbering buds of gladness ope 甘美な永い眠りを経て喜びの芽は開き、
Fresh lips to the returning winds of hope. 開いたばかりの唇弁が希望の風へと戻ってゆく
Our eager hearts renew their radiant flight 我らの熱望は、新たなる高揚に輝き
Towards the glory renascent light, 新たな活力の輝きへと向かって飛ぶ
Life and our land wait their destined spring 多くの生命、それに我らの大地も、運命(*1)の春を待つ
Song-bird why dost thou bear a broken wing? 鳴き鳥よ、汝は何故、折れた翼をおびているのか?
Answer: 答え:
Shall spring that wakes mine ancient land again 春は我が旧き大地を再び目覚めさせるだろうが
Call to my wild suffering heart in vain? 私の手に負えない苦衷には役に立たないのか?
Or fate’s blind arrows still the pulsing note (*2) はたまた、見えない宿命の矢が、歌声の律動をかき消すのか
Of my far-reaching frail unconquered throat? 遥か遠くまで響く、我が、はかなくも不屈の喉でも?
Or a weak bleeding pinion daunt or tire 弱く、血のにじんだ翼は、ひるみ、疲れたのか
My flight to the high realms of my desire? より高みを目指したい私の飛行に?
Behold! I rise to meet the destined spring 見よ! 私は運命の春に向かって上昇し
And scale the stars upon my broken wing! 我が折れた翼で星々まで上って行こう !
*1:さだめ、と読んでください *2:note=鳥の鳴き声

 特に説明しなくとも、この詩は民族運動の暗喩、というには語弊がある明白でロコツな比喩です。


 さて、生前最後の詩集に話が来たところで、そろそろサロジニ・ナイドゥの文学的評価について、少し詳しく触れ
ねばならないでしょう。私個人としては、詩人としてのサロジニにあまり興味はないのですが、それでも人物として
取り上げる以上、書かざるを得ません。

 最初の詩集「黄金の戸口」が出版された当初、サロジニは天才詩人と評されました。しかし現代では、インド英
語文学界の先駆者として評価されつつも、独立運動のリーダーとしての名声に勝るほどではありません。作品の
いくつかは名作として高い評価を得ているものの、率直に言って、詩人サロジニ・ナイドゥの文学的評価は、その
死後に急落して、「素人臭い」「混乱気味」「リアリズム欠如」「単調な繰り返し」「スパイスと砂糖の甘さ(要するに
ヘンな味ということ?)」「甘ったるい女学生的センチメンタリティ」などの悪口も浴びせられるうえに、多くの批判も
あり、現代ではかなり低い評価となっています。

 まず、サロジニの詩は、同時代のインドの真の姿を描いてはいないという指摘があります。「キプリング的」視点
とも言われていますが、サロジニの描くインドは、イギリス的フィルターを通して見たインドであるとのこと。エドマ
ンド・ゴッスが少女時代のサロジニにいみじくも指摘したように、彼女の感性は「英語化されている」のは確かで、
ついにその影響を完全に脱することはできなかったようであり、サロジニ作品のファンもそれは認めているようで
す。
 また、サロジニの詩は、愛、自然、生命など基本的に明るいもの、喜ばしきものを取り上げているばかりで、当
時のインドの暗黒面、すなわち貧困、宗教間の相克、カースト差別、女性差別等を題材としていないことが批判さ
れています。
 サロジニ・ナイドゥは確かに、典型的お嬢様ですが、決してインドの貧困や悪しき因習に無関心でなかった
は、その政治的、社会的業績から明白です。従って、生来の楽天的でユーモアのある性格のためか、単に詩の
題材として取り上げ無かっただけだと思われます。文学的な批判というよりも、政治指導者としての面も併せる
と、取り組みが不十分と受け取られたのかもしれません。
 ただ、イスラム教とヒンズー教の対立を詩情豊かに描いたところで、融和の援けになるどころか、事態を悪化さ
せかねません。「貧窮問答歌」は名作でしょうが、明るい詩より読みたいという人は、どの程度いるものでしょうか
(笑)。
 
 さらに、もっと単純な批判として、特定の言葉の繰り返しが多く、それ故の違和感が指摘されています。
「Sarojini Naidu, Her life, worl and poetry」によると、abysmal (底知れぬ)、magical、prescient(予期する)を
頻繁に使っているとのこと。実はサロジニの詩をさほど読んでいない私ですら、初期作品で「golden」をやたら使
っているなと感じたくらいですから、確かに事実なのでしょう。そしてまさしく、この点が「素人臭い」の評につなが
っているのでしょう。

 サロジニ自身と言えば、やはり自分の詩に決して満足はしていなかったようです。「一遍でも完璧な詩が書けれ
ば、喜んで筆を折る」と言っているくらいです。そして、「折れた翼」以降も、サロジニは公に「詩人」と自称して詩
作を続けており、死後には書きためた詩集が刊行されているので、詩作への情熱が失せたわけでもなく、また決
して自作の質に満足もしてなかったのは明らかでしょう。
 しかしそれでも、サロジニは、詩よりも政治を選んだわけです。日本人にわかりやすい例を出せば、「文学は男
子一生の仕事にあらず」として、官僚、ジャーナリストへと進んだ二葉亭四迷のような感じでしょうか(もっとも、四
迷は文壇に復帰していますが)。
 文学的才能の限界を自覚したから、政治の世界に進んだという評もありますが、サロジニがゴーカレーとの出
会いについて語った、 
私の人生をインドにささげさせた、鮮烈で感動的な言葉を思い出せます 」
 というコメントや、ゴーカレーの死去にあたって、インドに奉仕するように遺言されたことを考えれば、まあ、答え
は明らかでしょう。
 私に言わせれば、民族運動の大波の中で、ゴパール・クリシュナ・ゴーカレー及びマハトマ・ガンジーという二人
の偉人を師と仰ぎ、親しい友人でもあったサロジニが、文学の世界に固執したとすれば、そっちの方が寧ろ不思
議だと思います。


ちょっと休憩「青いハス」
 
 ここいらでちょっと中休み。ひょっとしたら、サロジニさんの黒歴史かも知れない短編ファンタジー「青いハス
Nilambuja」を紹介しようと思います。
 ここで書かれている「女性」は、やたらと詩にこだわっていることからしても、サロジニ・ナイドゥ自身を示してい
るのは間違いありません。これが書かれたのは1902年のことですが、この時既にサロジニは、詩作に行き詰ま
りを感じていたことが暗示されています。
 とは言え、自分の理想と実際の作品のギャップに苦しむのは、芸術家、作家としてはよくあることでしょう。

 ということで、これまた、もしかしたら本邦初かも知れない「青いハス」の訳文です。

「青いハス」 

 湖畔を女が独り歩いている。湖は巨大なファイアオパールのように輝き、オニキス色の丘が指輪をしているようだ。彼女の歩みは、あたかも湖面の動きに完全にとらわれたかのようで、眠くなりそうにゆっくりとしていた。
 それは奇妙に引き付けられる姿だった。彼女の花のような若さの優美さは、ハスの茎のように繊細で、おぼろげな芳香のような、言いしれない物憂げさに満ちていた。深淵な美しさをたたえた双眸が、感受性の強そうな丸顔に光っていた。
 彼女の容貌それ自体は、取り立てて美しくはないものの、非常に表情に富み、いわく言い難い何かを、言うなれば詩人の魂を伴っているように見える。巻き毛に微かな香りをまとわせた豊かな髪には、咲いたばかりのトケイソウの束で作られた花冠をかぶっている。喉元と腕を飾る暗い色調のアメジストと、彼女のまとう多彩な絹と銀糸で刺しゅうされた紫の織物が持つ地味な雰囲気は、彼女の温かい褐色の身体の、金色がかった青白い輝きに調和をもたらしている。ヴェールのように彼女を取り巻く夢幻の霞は、かすかに太古の情熱を帯びて、どこか超然とした不思議な魅力を彼女に帯びさせていた。

* * * * * * * *

 丘陵や、アカシアの生える谷、実った穀物を愛撫するかのように、日没の輝きが広がってゆき、束の間の黄昏にゆっくりと溶けてゆく。彼女もゆっくりと岸を離れ、庭を抜ける路を縫うように進んだ。その姿は、曲がりくねった影に埋もれ、ぼんやりとして幻のようだ。そして、セイヨウキョウチクトウとザクロの木のある中庭へと入って行った。
 銅の壺の白檀油が燃える明かりに照らされた、長い柱廊のステップで、彼女は立ち止まり、眼前の鮮やかな絵の魅力に惹きつけられた。そして、うっとり心奪われた様子の彼女の顔に、純粋に感覚的な喜びの微笑みが浮かんだ。
 とても美しい絵。金色と緋色と緑のひらひらとした衣服に身を包んだ同年代の少女達が、まるで大きな鳥か、あるいは花のように、アーチ天井の上に横になっている。一人は、上品な指輪をはめた指で、夜明けの靄のような布地にとても細い糸で縫い取りをしている。もう一人は、枕の間に頭をうずめ、気だるげで魅惑的な態度で、お行儀悪くも膝の上にもう一方の足を置いて脚を組みながら、香り高いスパイスを噛み砕いている。三人目は、古代の伝説の一場面が彫刻された柱にもたれかかりながら、何かラブソングの一節を自分自身に歌いかけている。天井近くを飛び回っている鳩と遊ぼうと入ってきた侵入者を歓迎するため、ちょっとの間、三人はそれぞれの安楽を中断した。
 それから彼女は、自室へ続く急な階段を上って行った。その後から、奇妙にも悲しみの感覚と一緒になった愛のささやきが続いた。非常に不可解なことだが、彼女はそうした素晴らしいものから離れ、花のような、束の間の露と琥珀色の陽光以外の何物も必要としない生命に、単純に満足感を覚え、その目的もなく存在するだけの儚さに率直に魅了された。

* * * * * * * *

 夜明けの方向へ窓が開いた、幅広の格子造りの部屋があった。金糸と銀糸で模様があしらわれた紫色の壁掛けに、ドアの周りに飾られた藤色のハスのつぼみの花冠。壁のタイマツからの弱い明かりと、青銅のつり下げ香炉から立ち上る紫色の香の煙。まばらに配置された、象牙の彫刻と銀細工の装飾品が放たれる微光。屋敷の他の部分とはひどく違ったこの部屋は、特に目立って美しく、質素さと贅沢さが同居して、あたかも神秘と夢の女神の神殿に奉納されているかのようだった。
 ドリーマーは一人、彼女自身の夢の神殿に立ち、闇の中へと身を乗り出した。
その眉は、孤独という未知の重みにされたかのように歪み、その両手は、実現不可能な願望をつかみ取ろうという無駄な努力に疲労したかのように垂れ下がっている。その口には悲嘆が現れ、是が非でも表現したい内なる音楽が、正しく表現できないために沈黙を強いられているかのようだ。
  子供時代の遠い記憶が、彼女の灰色の侘しい気分を通じて蘇ってきた。詩人の魂を持った子供が、自分の孤独な性格が作り出した砂漠に立ち尽くし、星を見上げていた。様々な情熱からなる星々の炎が、自身に燃え移るまで。
  幾多の情熱。人間性への、知識への、生命への情熱。とりわけ、宇宙の永遠の美を求める情熱。その時以来、彼女は永遠の神秘の影の中で、深い知的な渇望に燃え、抑えられない魂の渇きを抱えて、ずっと永遠の美を探し続けている。風と水の声の中に。曙に輝く山々の永遠の荘厳さの中に。詩人、予言者、夢想家、導師その他すべての時代、全ての民族の人の魂の顕現に。しかし、とりわけ人間の表情の中の感動的な美と、全ての人々の人生に隠された詩情を、おののきながら熱望していた。

* * * * * * * *

  この地球の絢爛たる美が究極の目的であり、そうした中に生きることで、その壊れやすい魅力に関する知識はいっそう甘いものとなり、劇的な経験や実現した理想に満ちた人生の喜びが、意識というものの儚い性質にとっていっそう価値あるものとなる。彼女はずっと、耐え難い願望に取りつかれていた。人生のもっとも些細な出来事や、輝ける無常の世界のもっとも短い瞬間に隠された永遠を見てみたいという願望に。
  彼女の輝ける子供時代は、大望の炎とともに遠くへと過ぎ去った。そして、詩人の魂を持った子供は、詩人の魂を持った女性へと成長した。愛と人生の喜びを謳歌すべく目覚めた女性としての本質は、深いところで、その言葉に表せない幻想や表現しがたい不思議な思考に完璧に共鳴している詩人の魂の、もっと切迫した心の底からの欲求とまじりあっている。
  フルートの音色のように繊細な笑い声に、リード楽器の音楽と歌声が、深淵な沈黙の中から聞こえてきた。彼女はその回想の中心で立ち止まり、深い悲しみに見えない涙を流しながらも、次第に笑みを浮かべた。ああ! 彼女はいかにして価値ある年月を失ったのか、そして恵み深い若さの生得権を逃してしまったのか、彼女は全く、魂の美に対する恍惚の永遠の孤独の中に、時間の巨大な影を越えて消え去っていくようだった。そして、飽くことなく永遠を求めるドリーマーにして、永遠ならざる欲求に満ちた彼女は、満たされることのない生得の喜びのため、身を切られたように泣くのだった。


  
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