ジョゼフ・フーシェ
(1759-1820)
イッチー様より投稿いただきました。
+: フランス革命後の治安回復
  ナポレオン戦争後の混乱を収拾

-:リヨンで虐殺
  変節漢
  密告奨励
 1759年、フランスの港町、ナントの船乗りの子供として生まれる。生来、体が弱かったため、オラトワール教団に入り、神学校の物理学教師となる (学生からはその知性と人格(!)でかなり尊敬されていたようです。)。

 1789年、フランス革命が勃発すると、フーシェは僧籍なき牧師の集団であったオラトワール教団に所属していたことから容易に世俗の世界に飛び込み1792年、ナントから国民公会議員に選出された (多分、自らの経験から来たことなのでしょうが、ここでカトリック系学校教授の無給、修道院共同生活を廃止して給料を支給することを提唱しています。また物理学者ということから来るのでしょうが合理主義精神の持ち主であり、教育内容の世俗化(普通化?)に尽力しています。)。

 フーシェは当初、国民公会内でもっとも勢力の強い穏健派に属していたが、ジャコバン派(急進派)が勢力を伸ばすと、ジャコバン派に鞍替えし、ルイ16世の死刑に賛成票を投じた。その後、国民公会から下ロワール県の総督として派遣されたフーシェは最も急進主義的な政治家に変貌し、有産者や教会から財産を徴発し、僧侶に還俗するよう強制した。やがて、リヨンで反乱が起こると、フーシェはその鎮圧を命じられるがその手法は市民数千人を虐殺し、家屋を破壊し、教会を徹底的に辱めるという残虐なものであった。
 1794年、テルミドールの反動によってジャコバン派の権力が崩壊すると (フーシェ自身はクーデターの首謀者だった。上の虐殺事件と、宗教教育の世俗化運動によって非キリスト教的とみなされてロベスピエールと対立した彼は、ギロチンにかけられる前に機先を制したのであるが・・・・・・。)、フーシェも落ちぶれ、子供のミルク代にも事欠く生活に陥った。しかし、新たに成立した総裁政府の実力者バラスはフーシェの情報収集力に注目し、謀略活動にフーシェを使った。そうした仕事をこなすうちにフーシェの活動力はフランスの政財界でも一目置かれるようになり、1799年、警察大臣に任命される。彼は警察大臣に任命されると、全国のあらゆる階層の人間を金で買収して、密告を奨励し、フランス中の情報が自分のもとに集まるようにした。ブリュメール18日のクーデターでも陰ながらナポレオンを支えたフーシェは新たに成立した統領政府でも警察大臣の地位を守ることに成功した。
 しかし、ナポレオンの権力の世襲化に反対して、ナポレオンの不興を買い、一時、元老院議員にうつされた。すると、元老院で今度はナポレオンの皇帝就任を強く主張して、ナポレオンの皇帝就任と共に警察大臣に返り咲いた (同時にオトラント公に封じられた・・・・・・。)。

 フーシェと同時代の政治家で共に変節漢の代表としてあげられる人物にタレーランがいるが、貴族出身で粋人のタレーランと平民出身で野暮のフーシェは互いに性格的に相容れなかったといわれているにもかかわらず (また貴族出身で派手好き、女好きなタレーランと、平民出身で謹厳実直なフーシェとは性格も合わなかったらしいです。 松永付記)、ナポレオンがヨーロッパ大陸諸国と無用な衝突を繰り返すことは権力の安泰を願うフーシェとタレーランにとって頭痛の種であった。そこで、フーシェはイギリスとタレーランはオーストリア・ロシアと交渉を始め、和平を実現しようとした。しかし、二人の独断先行はナポレオンの怒りを買って、二人とも解任されてしまう。

 1814年、ナポレオンは大陸連合軍に敗れ、失脚し、エルバ島に流されるが、しばらくしてナポレオンはエルバ島を脱出し、皇帝に再び就任する。(百日天下)この百日天下のもとでフーシェは警察大臣に再び任命されるが、ワーテルローの闘いでナポレオンが敗れると、フーシェはナポレオンに退位を勧告し、自ら臨時政府首班に就任した。フーシェは国内の共和派を抑えながら、タレーランと連絡を密にとり、王政復古を実現する。このときのフーシェの行動はかってルイ16世の死刑に賛成したことへの良心的やましさからきたものと言われるが、どうせ、王党派に恩を売って、自らの地位の安泰をはかったのだろう。現に彼はルイ18世によって警察大臣に任命されている。
 だが、ルイ16世の死刑に賛成したフーシェの留任に対する王党派の不満は大きく、ついに国外追放とされた。シュテファン・ツヴァイクは亡命先でのフーシェは不遇であったと書いているが、悠々と暮らしたという記録もあり、後者の方がフーシェらしい(葬式の時、霊柩車がコケたらしい・・・・・・。)
コメント
 信じる主義もなく、次々と仕える主人を変えたフーシェは当時の人々に「風見鶏」と呼ばれたが、彼の人生には妙に憎めない愛嬌のようなものを感じる。人間なんてみんな多かれ少なかれこんなものじゃないかと思ってしまうのだ。ただ、こういう人物は「英雄」と呼ばれることはないだろうな。(苦笑)
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